トキが亡くなった直後に、
「僕の身体を愛してくれたように、自分の体も愛してね」
って、イメージがふいにきた事を思い出した。
身体(子宮)の不調だけじゃなくて、
自己愛も深める時期なんだって。今思った。
無理させてきたかも。
『身体は私の所有物』という気持ちでいた。
子宮は意志を持って警告していた。
スピ的には常識的な表現なんだけど、
実感していなかったかもしれない。
『私』と『身体』は別のもの?というか、、、
私と分けた存在としてみれた。
私の思考が、子宮さんを巻き込んでいたんだな。。。と。
子宮も独立して意志をもった一つの臓器として
私を支えていてくれたんだなと思うと、
「申し訳ない」という気持ちと「感謝」の気持ちが湧いてきた。
手放そう(摘出しよう)と思ってからやっと気づけた。
もしかしたら私の子宮は子宮としての仕事したかったのかもな。。と。
臓器も、自分の才能を充分に発揮したいだろうな。
こどもを産まないと。。。とかではなく、
もっと尊重できたなって。
『自分のもの』という怠慢さが私にはあった。
数年前、介護の勉強をした時に、70代位であろう先生が
「身体はこの世の借り物」と言ってた。
だから、ボケてしまったり、動かなくなってしまったご老人の身体は
敬意を持ってお世話する事が大事なんだと。
自分の体も同じ事だよなって。
年齢という『数字』の多さばかり気にするのではなく、
むしろ41年間も私の為に働いてくれてありがとう。
なんだかとてもこころが痛いけど、
ちょっとだけど分かって良かった。
まだ数年一緒にいるから、
その間だけでも大事にしてあげようと思います。