学校の流れに便乗していたら、自分の生活スタイルが大変規則正しくなってきた(笑)まず24時に起きていられない。しかもなんの努力もなしに本業でレギュラーの仕事が2本決まった。ちゃっかり「運」ももらってしまった感じ。
実はかなり楽しい。小学校の仕事は本当に私に向いているみたい。本業のデザインより楽しい。でも私の特技はデザインだから臨時職員以上を目指そうという『欲(エゴ)』を出さずにこども観察に徹しよう。
ここ最近、『身を委ねる』事を覚えた感じ。『流れ』ってあるんだな〜と実感して今を生きるだけ。『今』にしか生きていない、特別学級のこども達に教わっているような気がする。本当にびっくりするくらい『今』。生活の基礎を教える立場だけど、もしかしたらこちらの方が数倍いろんなものをもらってる。
私は主に一年生の介助。担任の先生についてこどもを観るのだけど、自閉症やアスペルガーっぽいこども達ッて、一般社会では『不完全』とみなされるけど、生に対してもの凄く正直。純粋な魂を身体で常に表現している感じ。
そう思うと(実際、そうなのだけど)むやみやたらと『注意』できないなぁと思う。大人に何の権利があって『上』から目線にならなきゃいけないの?って。でも実際、そんな事頭で考えているヒマはないくらい次から次へと物事がやってくる。1.2時間目→休み時間→3.4時間目→給食掃除…。きっと子育てッて悩んでいる時間はないんだろうな。忙しすぎる落とし穴でもあるけど、、、でもある意味、時間があって思考に埋もれて考え過ぎの落とし穴もたくさんあるわけで。。。結局、どんな人生送ろうが自分を観るしかないんだな〜と。
こどもをずっとみていても、あっちで回ってる子。こっちで「いやいや」してる子。いつも「どうしてどうして」って聞いてくる子。でも答えても聞いちゃいなかったり(笑)プリキュアの世界にずっと浸って変身してる子。「ばか〜!」が流行るとずっと使っていたり。担任の先生の注意の仕方をみて納得する毎日。
でもみんなで歌ったり、給食食べたり、掃除はうまくできないけど、ケンカしてもすぐに仲良くなったりをみていると、本当にかわいいな〜と思う。時には「せんせい(わたし)嫌い〜」とか言われるけど、私はもっとかわいくなってしまって、「わたしはキミの事すきだよ〜」とか言うと、そのうち「ぼくも先生すき〜」とか言われて。100のうち1それがあるだけで嬉しい。
言葉の中味には対して意味はなく、もっと奥がどうなっているか試されている気もする。おそるべし、こども。魂のふれあいをみてるっていうか。。。
のめり込みやすい私にとってちょうどいいのは6時間で仕事終わりってこと。みっちりだから長いけど、感情移入のドラマに入る時間もなくとっとと帰ってく。そして翌日には忘れられる。その執着のなさも学び。15年間いた先生でさえ翌日には過去の人。すごすぎ。(といっても、全く顔を忘れられるわけではないけど、切り替えがめちゃ早い)
あさっては遠足〜。たのしみ〜〜^^