独り在ること

独り在ること


Prem Sheel

私達は
独りで生まれ、
独りで生き、
独りで死ぬ。

「独り在ること」は
まさに私達の本性だ。
でも私達は
それに気づいていない。
気づいていないからこそ、
いつまでも
自分自身と疎遠なのだ。

自分の
「独り在ること」
というのは、
実に美しく、
至福と、
静寂と、
平安に満ち、
存在と共に
寛いでいるものだ。
なのに、
それを追求する代わりに
「孤独」と
取り違えてしまう。

「孤独」(ロンリネス)とは
「独り在ること」(アロンネス)の
取り違えだ。
いったん自分の
「独り在ること」を
「孤独」と取り違えると、
その文脈がすっかり変化する。
独り在ることには美があり、
壮大さがあり、
肯定性がある。

孤独とは、
貧しく、
否定的で、
暗く、陰気だ。
人はみな孤独から逃げ去る。
それは傷のようなものだ。
痛い。
そこから逃れる
唯一の道は、
群衆の中に入ること、
社会の一員になること、
友達を持つこと、
家庭をつくること、
夫や妻を持つこと、
子供を持つことだ。

この群衆の中で
基本的な努力は、
自分の孤独を忘れる
ということに向けられる。

でも
今まで誰ひとり、
それを上手く
忘れた人はいない。
自分にとって自然なことは、
無視しようと
することは出来るが、
忘れることは出来ない。
それは何度も何度も
自己を主張する。
そして
問題は一層複雑になる。

なぜなら一度も、
それをあるがままに
見たことがないからだ。
まるで当然のごとくに、
自分は孤独に
生まれついたと思っている。
辞書では意味は同じだ。

それは辞書を作った人々の
マインドを表している。
孤独(ロンリネスloneliness)と
独り在ること(アロンネスaloneness)
の間の大変な違いを、
彼らは理解していない。

孤独とは
ひとつのギャップだ。
何かが欠けている。
そこを何かで
埋めないといけない。
ところが何物でも
埋めることが出来ない。

なぜなら、
まずそれは第一に
誤解だからだ。
年を取れば取るほど、
そのギャップは大きくなる。
独りになることが怖いから、
人々は馬鹿げたことを
いろいろやる。
たとえば
独りでトランプをやる。
相手はいない。
トランプの遊びの中には、
一人の人間が両側から
プレー出来るようなものがある。

何とかして
忙しくしていたい。
その忙しさは
人間相手であったり、
仕事の為であったりする・・
仕事中毒の人間だ。
そうした人間にとっては、
週末がやって来るのが怖い。
何をしたらいいのか、
何もしなければ
独りぼっちになる。
それほど苦痛が伴うことはない。
知って驚くだろうが、
世界中で
事故が一番多いのが週末だ。
人々は車に乗ってリゾート地へ、
海辺へ、高原へと押しかける。
数珠つなぎだ。
着くまでに8時間も、
10時間もかかったりする。
そしてすることは何もない。
みんな群れをなして
やって来ているからだ。
これでは自分の家、
自分の近所、
自分の街の方が、
この海辺のリゾートよりも静かだ。
みんなやって来ている。
とにかく、
何かやることが・・
人々はトランプをしたり、
チェスをしたり、
何時間もテレビを見る。
平均的アメリカ人は
1日5時間テレビを見る。
またラジオを聴いたりする・・
自分自身を避ける為に。
このようなことをするのも、
ひとえに
独りになりたくないからだ。
それはとても恐ろしい。
そしてこの観念は
他人から来たものだ。
独りが恐ろしいものだなんて、
一体誰が言ったのか?

「独り在ること」を
知った人間は、
全く別なことを言う。
独りで在ることほど美しく、
安らかで、
楽しいことはない。

ところが
あなたは群衆に従う。
取り違えて
暮らしている人は
とても多い。
誰がツァラトゥストラや
ゴータマ・ブッダのことなど
かまうだろう。
こうした一個人は、
多分間違っていて、
多分幻想を抱いていて、
多分自分や他人を
だましているのだろうが、
大多数の人々が
間違っているはずはない。
そして
大多数の人々によれば、
独りぼっちになることは、
人生で最悪の体験だ。
地獄だ。

でも
独りぼっちになることの地獄、
その恐怖ゆえに
創り出された人間関係は、
決して満足を
もたらすことはない。
その根幹そのものが
毒されている。
あなたは
相手の女性を愛していない。
孤独になりたくないから
彼女を使っているのだ。
彼女の方も
あなたを愛していない。
彼女もまた
同じパラノイアの中にいる。
独りぼっちになりたくないから、
あなたを使っているのだ。

よくあることだが、
愛の名においては、
どんなことでも起こり得る・・
愛を除いては。
争いも起こるだろうし、
ケンカも起こる。
それでも
孤独であるよりはましだ。
少なくとも誰かがそこにいて、
あなたは忙しい。
だから
自分の孤独を忘れられる。
でも愛は不可能だ。
なぜなら、
愛の基礎となる
土台がないからだ。
愛は決して恐怖からは
成長しない。

Osho – The Golden Future