3年ぶりに10日間瞑想に行きました。

3年ぶりに10日間瞑想に行きました。
コロナ前は年に3回行っていたので本当に久しぶりです。

常にネットで繋がっていなくても、ここに来ると会う10数名の人達。今回はトータルサイレンスでほぼ話しませんでした。でもお互いの変化は見ればわかります。全体的に皆んなが進化していていました。

朝は激しいカタルシスのダイナミック瞑想からはじまり、昼はナーダプラーマ、アナパナサティ、クンダリーニ瞑想、そして、夜はホワイトローブで極限まで踊る日々。

初日から3日間くらいは激しい筋肉痛になりますが、そんな身体の変化と、内面の変化を常に観ていました。

私はしばらく漠然とした不安と恐怖から年末は不眠になっていました。でも、これといって具体的な問題がある訳ではない。標準的に恵まれているのに…そういう時は大抵、自分の『身体』を忘れて無意識のうちに世間に引っ張られている時。集合意識の恐れのようなものです。

じっくりと内観しました。最初の3日位はいろんな心配やら悲しみなどがやってきたけど、サットサンで先生から『心配はエゴね』という言葉と内容をもらって、ハッとしました。

心配を手放せないことでのメリットも感じている自分。それを持ち続ける自分。マインドに支配されているのは分かっていつつも、それを選択している。

無になる…とかでなく、ひたすらやってくるものを観ました。最初は自分自身に同化しているけど、そのうち、身体を俯瞰して観れるようになります『身体がある限りいろんなマインドがくる。それは仕方ない。だから24時間身体忘れないで!』…それは先生の教えです。

そして、マインドはエゴの為に使うのではなく、身体を動かす為に使うもの…というのが、やっと腑に落ちました。

後半からは、前半に感じていた心配やら不安はほぼ出てこなかったです。またくるかもですが、それはそれでよし。

アナパナサティをしてる時、ふと、自分の日常が沢山でてきました。仕事してたり、運転してたり、ご飯食べてたり…それは夢を見ているようで、ふと、私の日常が夢(幻想)なんだと感じびっくりしました。

この目覚めない夢の中に私はいるんだな…

何に必死にしがみついているんだろう⁈

ほんと、これ夢だよ…

本当の事が分かりたい。

小さな気づきかもしれませんが、
そこから、本当の意味でのサイレンスがきた気がします。サイレンスとは、喋っても喋らなくてもある…というか…そのサイレンスがくると自然と注意深くなり、存在の音を逃さないように、全てゆっくり味わうように動く事になります(私の場合)

身体がご飯を食べている。身体が歩いている…せかせかしてしまうと、また同化して音を逃します。

私にはまだここまでの観照しかできませんが、これを忘れないようにしよう!これを少しでも長い時間保っていたい。何よりこれが私の人生で一番大事!

夜のダンスでは私はダイナミック瞑想以上に身体が動き、ホール中を叫びながら走って踊るのが本当に気持ちいいです。腹から声を出す瞬間は『今』しかありません。普段の自分からは想像できないくらいエネルギーと汗が溢れ出て、その後のシッティングで30分ほどノースリーブのまま…。

いつもの思考なら「寒いー風邪ひくー」となるけど、全くその心配がきません。

改めて、自分にエネルギーがあることを実感して帰路につきました。長年の私の病気もこのエネルギーの多さからきていたものの様な気がしています。どこか滞ってしまったのかも。今は本当になんともなく、健康であることを噛み締めています。

途中、長野の善光寺に寄っていきました。私のひいお爺さんも建設に関わったという、表参道入口の左にある明照殿に入った時、あまりにも静寂の音がして、誰もいないので、そこで勝手に1時間くらい座って来ました。

観光客は本堂に行き、明照殿はほぼ人が入らないので穴場です。これからここに必ず寄ろうと思います。

私のしている瞑想はただやってくるものをひたすら観るだけ。もっと言えば身体を観ること。あえて意図するものとは違って、願望を叶える為にやるものではないので、楽しむものではありませんが……本当に充実して楽しいと思える日々でした。魂が喜ぶ感じ^^ 忘れないようにしようと思い長文ですが書いときました^^